【平成初期のマンション購入記】ネットなき時代のモデルルーム巡りと、金利6%の社内預金を残した資金計画

マイホーム体験記

はじめに

今回は、私が30代(平成の初め頃)に初めて新築マンションを購入したときの実体験を、前編・後編に分けてお話しします。

前編となる今回は、インターネットがなかった時代のユニークな情報収集やモデルルーム巡り、そして「金利6%」という今では考えられない時代背景を活かした資金計画の裏舞台をお届けします。


1. きっかけは会社の移転。分厚い「住宅情報誌」が情報源

購入のきっかけは、勤務先の事業所が移転することになったことでした。私と家族の通勤がどちらも可能な場所を検討し、「どうせならマンションを買ってしまおう!」と思い立ったのです。

当時はインターネットで検索するのが当たり前ではない時代。情報収集の主役は、駅のラックなどに置いてあった「住宅情報誌」でした。当時のものは本当に分厚く、ちょっとした週刊紙くらいののような厚さだったのを覚えています。

それが段々とぺらぺらな薄さとなっていき、現在ではインターネットで検索することが当たり前になってしまっています。

その情報誌をもとに、次の4軒のモデルルームを見学しました。

  • 山手線から一駅目のマンション(2物件): 価格は安くないが利便性は抜群。
  • 勤務先の最寄りターミナル駅のマンション: 価格は上記と同等かそれ以上。
  • 両者の中間近くにある快速停車駅のマンション: コストパフォーマンスは高いものの、当時はまだ周辺の開発が進んでおらず、少し落ち着きすぎている印象。

比較検討した結果、利便性を重視して「山手線から一駅目のマンション」を選択しました。


2. 決め手は「実際の部屋」で確認できた防音性

選んだ物件は、別の場所に特設モデルルームを作るのではなく、建築中のマンションの2階を事務所兼モデルルームにして、非常階段から入るスタイルでした。

この物件は幹線道路沿いにあったため、もう一軒の候補より少し安価でした。道路は北側で、南側には低層の建物しかなかったため、「将来3階建てが立っても大丈夫なように」と5階の部屋(70㎡弱の3LDK/4,700万円)を購入することに決めました。

何より、実際の建物がモデルルームとなっていたので、南側のリビングはサッシを締めていると予想外に静かなこと、北側の幹線道路側の寝室も2重サッシによる防音性の高さを肌で確認できたことが、大きな安心感となり決めてとなりました。


3. 金利6%!?35年ローンを組んで「住宅金融公庫」を選んだ理由

購入にあたり、資金計画を立てる必要があります。金額は4,700万円(のちに住戸変更で5,090万円)。30代の身にとっては、これから「35年ローン」を組んで払い続けるという、人生最大の大きな決断でした。

ちなみに当時は、今のようにネット銀行や多様な民間ローン、超低金利の変動金利といった選択肢はほとんどありませんでした。マイホームを買うとなれば、「国がバックにある住宅金融公庫から借りるのが一択」という時代だったのです。

そんな中、私の会社には福利厚生として「社内預金」があり、その金利はなんと驚きの6%でした!

限度額いっぱいの1,000万円を貯蓄していたため、半年に一度、税引き後で約24万円の臨時ボーナスのような利息がもらえていたのです。

社内融資(住宅ローン)を受けることもできましたが、そのためにはこの高金利な社内預金を全額払い戻さなければなりませんでした。

一方、当時みんなが利用していた住宅金融公庫の金利は3%ちょっと(3.5%前後)

「社内預金の利息(6%)>公庫のローン金利(3%強)」という、今思えば大らかな時代の逆ザヤ状態だったため、「社内預金はそのまま手をつけずに運用し、家のお金は公庫から35年ローンで借り入れる」のが最も賢い選択だと確信し、手続きを進めました。

第1期の申し込みでは、私の部屋は競合がなく無事に当選。他の部屋ではガラポンによる抽選が行われているところもありました。


前編のまとめ

こうして無事に第1期の当選を果たし、一安心していた私。しかし、ここからまさかの「住戸変更ハプニング」や、初めて耳にする「つなぎ融資」の複雑な仕組みに翻弄されることになります。

今では考えられない「並び屋アルバイト」の提案や、年末入居時の住民票の裏ワザなど、さらにディープなエピソードは【後編】で詳しくご紹介します!ぜひ続けてご覧ください。

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